私は自助グループというものに関わりだしてから、1年半程度です。ある自助グループでは運営に加わって、司会や会計も担当していますが、ここでは参加者として感じたこと、考えたことを書きます。5つほどの自助グループに行った経験があり、今行っているのは2つです。似たような問題を扱っていても、場の空気というか雰囲気のようなものは自助グループによってずいぶん違うものだなと思います。
私が自助グループというものに引かれたのは、当事者同士で大したことはできないけれど、少しでもなんとかしていこう、という考え方のようなものです。「大したことはできない」というのは、つまり、黙って話を聞くことぐらいならできる、あるいは、黙って話を聞くことぐらいしかできない、ということです。通っているのが言いっぱなし、聞きっぱなしのミーティングを行っている自助グループだからかもしれませんが、他人が見知らぬ他人にしてあげられることの希望と限界というか、押し付けがましくない点を好ましく思っています。参加者は、ボランティアをする側であると同時に、ボランティアされる側である、というような感じもします。
自助グループというものを全面的に肯定しようとは思いません。自助グループという集まりが本当に当事者にとって良い方向に進む手助けになるのかどうか、私にはまだよくわからないからです。扱っている問題によっても、自助グループの有効性というのは違ってくるのではないかと想像しています。自分について言えば、今の所は、何かを食い止める程度には役に立っているのではないか、と思っています。食い止める以上のことは、自分自身にかかっているのだと思います。あと、あくまでも副産物ですが人前で話す能力というか、プレゼンテーション能力が高くなったような気がします。
今私が気になっているのは、自助グループに参加し続けることで、「自分は問題を抱えた当事者である」という当事者意識のようなものを強化して、当事者でない人との間に自ら壁を作っているのではないか、ということです。特に私のような孤独な人間は、特にそう思ってしまうような気がします。
それを避けるためには、当事者が当事者であることを意識しないで済む集まり、というものを持つことが大事なのかもしれません。そのような集まりがあれば、とは思って探してもいるのですが、それは具体的にはどのような集まりなのか、ということが自分でもよくわかりません。、
もうひとつ気になっているのは、いつまで自助グループに参加し続けるのか、ということです。いつまで自助グループに参加し続けるのか、という問題は向き合っている問題によっても変わってくることだと思いますが、自分はどうなのか、ということがよくわかりません。もちろん、それを決めるのは自分自身なのですが。